ケースメソッドとは何か(3)Because Wisdom Can’t Be Told(叡智は教えられぬがゆえに)について

目次

 前回、ケースメソッドとは知識伝授ではなく態度形成の訓練を目的とした手法であると述べた。


 今回は、ケースメソッドにおいてその態度形成の訓練がどのように行われているのかについて、グラッグのエッセイを用いながら、学生、教材、教師の関係に焦点を当て、ケースメソッドとは何かを述べていく。
 題材とするのは、グラッグが1940年に書いた「叡智は教えられぬがゆえに(Because Wisdom Can’t Be Told)」である。マクネアーが1954年に編纂した本の2番目にあるエッセイで、今でも下記リンクより購入が可能である。

        Because Wisdom Can’t Be Told

エッセイの著者の略歴

 邦題は『叡智は教えられぬがゆえに』である。古川公成(訳書が出た1977年当時は慶應義塾大学ビジネススクール助教授)が訳した。
 グラッグは、ハーバードからMBAと商学博士(D.C.S)の学位を取得し、1923年以降、HBSのスタッフに加わり、「マーケティング」、「公衆関係と責任」、「企業とアメリカ社会」、「経営実践」、「報告書執筆法」等々、33年間に渡り、多くの科目を担当した「事業経営論」の教授であった(坂井,1992)。
 マクネアーが書いたと思われるグラッグのエッセイの説明には、「デューイング教授の論文が執筆されてから約10年後に、かつては同教授の指導を受けたチャールス・I・グラッグがケース・メソッドにおける教師と学生の関係について、今日では古典と見なされる名文を書いた。教育のプロセスにおける学生側の積極的な参加についての著者の主張点こそ、真のケース・メソッドを生半可なケース・メソッドから区別する基準を示すものである」とある。

Because Wisdom Can’t Be Told(叡智は教えられぬがゆえに)の概略

 「他人の懸命な意見や適切な忠告に、ただ耳を傾けるという行動は、それのみではほとんど何のたしにもならない、ときっぱり言い切ることができる。学習の過程には、学習者側のダイナミックな協力が必要である。しかしながら、この学生からの協力は自然に得られるものではない。しかるべき準備と励ましが常に必要である」と言う出だしで始まり、ケースメソッドによる教育には学生の「ダイナミックな協力」が特に必要であることを明確に述べている。
 このような協力を得るために、ケースメソッド教育では2つの方法を行っているとグラッグは述べる。一つ目は議論の題材としてケースを使うことである。二つ目は、学生相互および学生と教師の間に豊かなコミュニケーションを行うことである。
 ケースという題材はクラスの共通の話題となる。そしてそのケースについて討論を行うことで、学生や教師のコミュニケーションを活発にし、態度形成の訓練の場とするのがケースメソッドである。
 ケースメソッド教育の特徴である討論という形式になれない学生たちに対してグラッグは、「自分の責任において実際的な行動をとらねばならなくなる時期は、いずれ必ず若い人々にも迫って来る」と述べ、討論授業に積極的に参加し学ぶことを進める。
 また、ケースメソッドで教える教師に対しては、自分の知識を説きたいという気持ちにとらわれるかもしれないと述べるが、「しかし、いかに大量の情報をもってきても、それが理論に関しているか事実についてであるかにかかわらず、情報のみが洞察や判断を改善するとか、責任ある立場において賢明な行動をとる能力を増すとかいうことはありえない」と続け、知識伝授ではなく、態度形成の訓練の場を提供するためにコミュニケーションを行うべきであると注意を促している。
 学生にとっても教師にとっても難しさはあるが、「ケース・メソッドのもつ最も顕著な長所は、学生が現実的な条件のもとで行動を開始しむけることである。つまり、ケース・メソッドは、彼らを消極的な吸収者に役割から引き出して、学習の協働努力におけるパートナーに仕立てる点である」とする。
 「ケース・メソッドにおいては、教師と学生からなるアカデミック・グループの全員が同一の基本資料を手にし、その資料を使って分析が行われ意思決定がなされるのである」とケースメソッドにおける授業がどのように進行するのかを述べている。
 ではなぜこのような教育をしなくれはならないのか、それについてグラッグは「ビジネスの世界における責任の伴う諸活動に関する限り、蓄積された正解集がほとんど無意味であることは明白である。事態の1つ1つが新しく、それに対する適切な判断と行動に至るまでには、想像力豊かな理解が不可欠である」と述べる。
 つまり、ビジネスの現場には同じことが起きることはほとんどない。その時その時で適切に判断し行動するには、その場その場で新しいやり方を創造しなくてはならないのである。これは介護や看護で働く人々も同じであろう。サービス提供をする時、似たような状況は経験があるかもしれない。しかし、全く同じということはあり得ない。その場その他で新しいやり方を大なり小なり創造して仕事を進めているはずである。
 このエッセイの後半に、全体の文章量からすると約1割程度であるが、ケースメソッドで教える教師にむけたメッセージがある。
 「いかなる方式といえども完璧ではあり難い。下手に使われるケース・メソッドは、学術上の大汚点でしかあり得ない。不適当なケースの扱い方は、単に学生を困惑させ退屈させるための手の込んだ手段にしか過ぎない。もし、教師が自分の答えが唯一の正確な答えであるとの確信を持ち、自分のなすべきことは、一に学生と、ケースの事実と、それに自分の考えとの3者をうまく結合させることにこそあると考えたとしたら、しかももしその教師が自分の家長的役割を強調して止まないとするならば、純然たる講義形式による教育の方が遥かに安上がりであるだけではく、関係者各自にとって無理が少なくなることは明らかであろう(イタリック体による太字の強調は筆者)」
 グラッグは「生半可なケースメソッド」について非常に厳しい意見を述べ、ケースメソッドで教える教師に注意を呼びかけている。

まとめ


 グラッグはケースメソッド教育には特に学生の積極的な参加が必要であることを明確に述べている。そして、学生の積極的な参加を促すための仕掛けとして、ケースと教師の役割も明らかにした。ケースメソッドで教える教師は、講義はしないが、ただクラスの討議が面白かったで終わらせてはならない。学生の議論を手助けすることで学生の学ばせるのである。教師はそのための努力は決して怠ってはならない。
 さて次回は、ケースメソッドで教える教師がどのように授業に向かうためにどのような心構えを持つ必要があるかについて書かれたエッセイを取り扱う。『Tough-Mindedness and the Case Method(硬い心とケース・メソッド)』はマクネアーの書いたエッセイである。

参考文献


Charles I. Gragg(1954),”Because Wisdom Can’t Be Told” in McNair,Malcom P. (ed.)The Case Method at the Harvard Business School,pp.6-14, McGraw-Hill.(古川公成訳(1977)「叡智は教えられぬがゆえに」慶應義塾大学ビジネス・スクール訳『ケース・メソッドの理論と実際』9-21頁、東洋経済新報社)
坂井正廣(1992)「アメリカ経営学教育史の一駒:「経営実践」から「組織行動論」へ」『青山経営学部論集』第27巻、第2号、87-112頁、青山学院大学

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