合同会社manabicoの立ち上げについて③

下記のブログの続きになります。今回はMBA入学についてです。

 看護師の働く職場環境の改善を通じて「看護師を助ける様な仕事」ができるのではないかと考えながら病棟で看護師として働いていました。ある夜勤の日に、当直の医師に私の問題意識について話していた際に、ちょうどハーバードでの留学から帰ってきたばかりのその医師からMBAというものの存在を教えてもらいました。ハーバードMBAについて調べてみると、学費と生活費がとても払えないため、ある程度お金は貯めつつも奨学金を取る必要があることがわかりました

 そしてちょうどその頃、同居していた90歳を超えた祖母の腎機能があまり良くないため透析をしないのであれば余命数ヶ月だろうと医師から言われました。90歳を超え腎不全や心不全でしんどい身体でも、共働きの両親や私たち孫のために毎日休み休み家族の食事を作り家事をしてくれている祖母でした。家族で話し合い、これ以上祖母に負担のかかる治療はせずに、最期まで自宅で祖母にはできる限り今まで通りの生活を続けてもらえるようにしながら自然な形で看取ろうということになりました。

 12月の面談時に師長に、祖母の病状や自宅で看取ろうと考えていることを伝え、万が一の際は休ませて欲しいという相談をしたところ「私たちの仕事は患者さんの最期には立ち会えても、家族の最期には立ち会えないものなのよ」と休ませることはできないと言われました。「自分の家族を大切に出来ないのに、他人を大切に出来ない。そんな慣習はおかしいし変えないといけない」と心底感じました。そこで看護師を辞めて自宅に戻り、祖母の療養生活をサポートしながら通える母校のMBAに進学することに決めました。

 こんな感じで、急いで準備をして2月には入学試験を受け、運良く希望のMBAに進学をすることになりました。私の進学したMBAは全日制で1学年100人ほどでしたが、医療職はほぼおらず、事業会社や銀行、コンサルティング会社等で5〜15年ほど経験のある社会人が多数を占めていました。そういった人たちに混ざり、財務会計やマーケティング、生産政策、組織マネジメント等々の経営管理の基礎科目の授業をケースメソッドで受けました。当時は20代後半で医療もビジネスも分からず何度も自分が場違いなんじゃないかと不安に感じましたが、そんな時は同級生が「あなたには医療という専門性があるのが強みだよ」と励ましてくれ、何とか頑張って祖母の在宅看取りとMBAの勉強を両立して卒業することができました。

次回はMBA卒業後から合同会社manabicoの立ち上げまでです。

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