目次
前回、ケースメソッドとは何かを記述するために、様々な角度から焦点を当てていくと述べた。
2回目となる今回、ケースメソッドについての理解を深めるために話題にするのは、アーサー・ストーン・デューイング(Arthur Stone Dewing)によるエッセイ『An Introduction to the Use of Cases(小林規威訳:ケース・メソッドへの導入)』である。ケースメソッドとは、ケース教材をもとに、参加者相互に討議することで学ばせる授業方法のことである。
エッセイの著者と書かれ時代背景
HBSにおいて財務管理を担当していたデューイングは、世界恐慌の起こった2年後の1931年、セシル・E・フレーザー(Cecil E. Fraser)編の『ケース・メソッドによる教育』においてこのエッセイを書いた。
後にマルコム・P・マクネアー(Malcom P. McNair)教授は、このエッセイを「経営教育におけるケース・メソッド活用の背後に横たわる一般的教育論についての、最も古くかつ最も明確な説明の一つ」と述べ、自ら編纂した『ハーバード・ビジネス・スクールにおけるケース・メソッド』の巻頭論文としてあらためて再録している(吉田,1997)。ケースメソッド教育の実践者が、ケースメソッドについて述べた文章としてはもっとも古い時期に書かれたものと言うことができる。
An Introduction to the Use of Cases(ケース・メソッドへの導入)の概略
デューイングは、正規の教育方法は承認されうる教育理論の基礎によって支えられていなければならないと述べた上で、「根本的に違った教育理論というのは、2つ、たった2つしか存在しないように考えられる」と続ける。そして経営教育という分野を前提とした上で、そのたった2つしかないように考えらえる教育理論について説明している。
1つの理論は、「教育とは、長い期間を通じて人間が蓄積してきた重要な事実を手短に概観すべきであると考えて」おり、その場合の教育方法は、「事実に関する知識を伝えることに主たる目標をおく種類の教育」となる。
もう1つの理論は、「教育とは人間の体験についての手短な要約を伝授するためのものとは考えない」と言い切り、先に述べた教育理論との違いを明確にする。そして「その代わり、この方法は、およそ教育とは日々変遷する四囲の情勢下に生みだされる新しい条件に対処するための諸問題について、個人個人の学生が彼の行動において、これと取り組むことの出来るような態勢を養う訓練の機会を提供するようなものでなければならないと考え」ており、その場合の教育方法は、「経営管理者としての行動をなしる人材の訓練を主たる目的とする種類の教育」となる。
デューイングは、前者の教育理論は非常に効率的であると述べ、後者については「教育方法の理想からみるに、人々に考えることを教えるという方法自体には、公認された真実を教えるという方法に比べて、何ら明白にたちまさった利点を見いだすことができない。」と言い、後者の教育理論は未熟な部分があり、また効率的でもないことを述べている。しかし、デューイングは以下のように続ける。「それにもかかわらず、教育の基礎としてケースを利用するものは、前期第2の教育上の理論(筆者注:知識伝授ではなく問題解決態勢を養う訓練の機会を提供すること)に十分な信頼をおいている。」
このエッセイが発表された1931年時点において、HBSはケースメソッドによる教育を始めて10年近い年月が過ぎている。財務管理の担当であったデューイングの10年近いケースメソッド教育の実践経験から得られたこの主張は力強い。
そして「もしケースによる授業が100%完全に行われるならば、ケース教育はすべて、事実の修得ではなく、思考の力の養成をすることこそが、われわれの教育上の最終的な理想であるとする、理論の現実的な適用以外の何ものでもない」とケースメソッド教育の有用性を述べている。
討議の題材とする「ケースとは、経営教育の目的が真理ーこの場合真理といったものが存在するのか否かの議論は一時考えの外におくとしてーを教えることではなく、新しい状勢下において思考することを教えるところにあるという、明確な意識をにもとづいて活用せらるべきものである。」と述べ、ケースは先例として学ぶものではなく、それを材料として議論することで考える能力を養成すべきであると述べている。
ケースメソッド教育そのものについて「可能性・蓋然性そして方策に関するクラス討議を通じて展開される」と述べ、「このような討議は、可能性のあるいくつかの結果についての上手な比較検討にその基礎においている」と結び、ケースメソッドで教える講師向けに、クラス討議がどのように展開していくのかについても簡潔に記している。
まとめ
このエッセイのポイントは、ケースメソッド教育は知識伝授ではなく、訓練によってなされるもの、と言い切ったことにある(吉田,1997、竹内,2013)。
また、教材であるケースにも触れ、ケースメソッド教育で使われるケースは先例を学ぶものではなく、創造性を導くようなものではならないとしている(村本,1982)。
このエッセイは、知識伝授ではなく訓練によってなされる、という言い切りによる力強さの反面、ケースメソッド教育が大切にしているコンセプトや、教師の役割、教師と学生のクラスでのやりとりがどのように行われているのかが、あまり見えてこない。McNair1954では、このデューイングのエッセイの次に、グラッグのエッセイを配置している。そしてこのデューイングの指導を受けているグラッグのエッセイはこのような疑問にある一つの答えを提供している。
次回はグラッグのエッセイ『Becase Wisdom Can’t Be Told(叡智は教えられぬがゆえに)』を用いて、ケースメソッド教育とは何かを述べていく。
参考文献
- Dewing, Arthur S.(1954),”An Introduction to the Use of Cases” in McNair,Malcom P. (ed.)The Case Method at the Harvard Business School,pp.1-5, McGraw-Hill.(小林規威訳(1977)「ケース・メソッドへの導入」慶應義塾大学ビジネス・スクール訳『ケース・メソッドの理論と実際』1-7頁、東洋経済新報社)
- 村本芳郎(1982)「第1章第2節6 デューイングの論文「ケース・メソッドへの導入」について」『ケース・メソッド経営教育論』42-47頁、文眞堂
- 竹内伸一(2013)「ケースメソッド教育の実践を支える組織的サポートに関する研究 : ハーバード・ビジネス・スクールと慶應義塾大学ビジネス・スクールの事例から」『広島大学大学院教育学研究科紀要』 第三部 第62号、69-78頁、広島大学教育学研究科
- 吉田優治(1997)「創造するマネージャーとケース・メソッド」ケース・メソッド研究会著『創造するマネージャー ーケース・メソッド学習法ー』13-43頁、白桃書房
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