下記の記事の続きになります。合同会社manabicoの立ち上げの経緯について書いていこうと考えています。第2回目の今回は、看護師になるまでとMBA入学までの経緯です。
私がちょうど大学受験をしていた時代は就職氷河期の真っ只中でした。なので進学先として大学の看護学部を選んだのも「食うに困らない手に職をつけておこう」という程度の動機でした。大学に入学して看護の勉強をしていてもイマイチ看護がどういうものか分からず、不真面目なあまり良い看護学生ではありませんでした。
そして、いざ実習に行くと、病棟看護師から舌打ちされ、邪魔者扱いならまだ良く完全に存在自体を無視されるような経験もしました。そして、実習生の自分たちだけではなく新人の看護師が私たち以上に先輩看護師からきつくあたられている場面にも遭遇し、卒業後は絶対にあんな病棟に配属されたくないと友人たちと戦々恐々としていた記憶があります。
大学を卒業後、私が配属された病棟は、看護師も医師も皆和気あいあいと仕事をするような雰囲気で、とても良い先輩方に恵まれ、他病棟に比べると離職も少ない職場でした。しかし同じ病院内の他の病棟では、大学生の頃に看護師への憧れをキラキラした目で語っていた同級生が一人、また一人と精神を病んで辞めていきました。反対に、あんなに優しかった同級生が後輩にキツく当たっている様子を見かけて驚いたこともあります。
そのような状況を目の当たりにしたことで、慢性的な看護師不足を解消するためには、まずは看護師が精神的に追い込まれないような働く職場環境の改善が必要なのではないかという問題意識を持つようになりました。そこで「看護師になりたかった」わけではない私は「自分は看護師には向いていないが、看護師を助ける様な仕事はできるかもしれない」と考えました。
次回は、MBAについてです。
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